冴えオタ

冴えないオタクの育て方

不意に始まる更新回に涙

今まで忘却の彼方にあった、ブログを神のお告げなのか、ふとした瞬間に思い出し(てしまっ)たので、これは更新せねばなるますまい(古文弱者)。今回は、やる気アリの時には定評のあるところの私なので、このまま一気に書いていきたい所存です(現代語弱者)。

冒頭から、国語弱者っぷりを遺憾なく、恥ずかしげもなく、というか平常運転通りに、発揮してしまった、これには痛恨の念此処に極まれりといったところか。これでは、ただの不真面目極まる不良浪人生と勘違いされるので、わたしの特徴の一つである、容姿端麗を前面に押し出しつつ、真面目にブロガー稼業に徹していきたい。あぁ…ぁぁあとと…私は、親に100万円の負担をかけながら、髪を金髪に拵えて、予備校で女と雑談に耽るような、(浪人にも関わらず)ささやかな社会的成功を企むオタク浪人生では断じてない事を付記しておく。ぁぁあ…たっだた…この挙動不審ぶりからはオタク属性のみ持ってる事が推察される、罪深いほどにオタクが染み付いてしまった。忸怩たる思いに心やられる、人生とは有為転変、オタクの目には不意に涙。泣いたオタクを切る(なんも感動しねぇな)。

 

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出し月かも

 

阿倍仲麻呂の目にも涙。

 

と、タイトルを回収したところで、閑話休題

 

浪人生って意外と楽しくないか、というのが最近の感想。

 

特に、歴史がかなり面白いです。去年までは、歴史の本質を学ばねばならないなどと、その本質の示しさすところが曖昧なまま、フレーズのみが先行して、結局その本質とやらが全然掴めずに終わったのです。歴史の本質とはなんたるかは未だ掴みきれていないので、本質についての解釈は控えますが、いづれにせよ、要は、その国々の持つ歴史的背景、地域的特色、文化基盤などを一切無視の単なる教科書語句の暗記に終始していました。例えば、封建制であれば、古代中国のそれと、中世西洋のそれは、全く異なります。ここでは、その意味の違いを書くといった無粋な事はしませんが、その用語の持つ意味領域に全く幅がないということです。単なる用語集の丸呑みでは、その理念も達する事ができなくて当然ですね。

また話が逸れました。現在の歴史の勉強は、教科書と専門書の橋渡し(?)的な本を読んでいってます。そんなの読むなんて当たり前だろ!と思った方は飛ばして下さい。これが目から鱗の連続で、面白いんです。例えば、日本史が相当東アジア史の中に組み込まれている事などは、今まで思いもよらない事なので、なるほどとなります。敷衍すれば、聖徳太子の改革は、天才聖徳太子の突飛な思い付きなどではなく、必要に迫られての事だったとか、乙巳の変は東アジア史の中では、類似案件が諸国で見られたりした、ということです。やはり、必要は発明の母なのか…と依然として本質は掴めずにいるまま、漠然と勉強しています。ただ、そんな中でも、教科書には書ききれていない、背景が明らかになって行く過程に喜びを感じています。

ちなみに本は、山川リブレット、講談社学術文庫などです。

 

各科目の詳細については、数学に触れておしまいにしたいと思います。

上級問題の何某を中心に進めています。こちらは特に面白みがなく、つつがなく進んでいるといったところ。現在確率を鋭意取り組み中。今月中に終わらせれるよう、この喫緊の課題に対して可及的速やかに、総合的に諸般の事情を勘案した上で、誠心誠意全身全霊で不退転の決意で、前向きな方向で、できる限りの善処して参りたい所存(結局何もしないを意味する)。

 

まぁ、がんばろ。

https://www.youtube.com/watch?v=5IpO68KD8Xg

 

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あまり、こういう愚痴めいたことは、書くべきではないと承知の上ですが、少し書きたい。

私の小学校時代というのは、この自己承認欲求を処理できないのも大きな問題なのだが、それなりに良かったと思います。まぁ、文武両道ほど大袈裟なほどてはないもののよくできた子供でしょう。それは、中学校時代に大きく揺らぎます。その際に、その諸因が自分に帰するものであれば、弁解の余地はなく、納得せざるを得なくなります、というかするべきです。しかし、揺らいだ原因は、持ち込まれた問題でした。端的に書くと、ファミリートラブル、厄介な問題ですね。これ以上、事の仔細については書きません。

 

 

最近になって、ようやく整理がつきました。6年間、様々な物を失い、そして負け続けてきました、失われたものは莫大です(過去は“問題”によって大きく捻じ曲げらたとの立場に立つが、実際は、問題との因果関係は立証は出来ず、過去を自分にとって恣意的に解釈し、それでもって過去を良い方向で再構築しているだけの、自分を直視できない歴史修正主義者である可能性があることは承知している。その点わかってくれると幸いです。まともな家庭であれば良かったのに…)。といっても過ぎた月日は、どれだけ嘆き悲しんでも帰ってきません、故に未来志向的になる必要があります。そこで、本来の私を小学校時に設定して(外圧のなかった時)、そこに立ち帰れるようしなければなりません。そして、今までの負けを取り返すなければなりません。なんだか、詭弁を弄して自己正当化を図る醜い浪人生になってしまいましたね。捲土重来を期しつつ、ここら辺で擱筆とします。