冴えオタ

冴えないオタクの育て方

正月は色々と手が止まった。主に3点理由がある。1つに、幼い頃よく相手してくれた親戚のお姉さんが結婚する事。なんだか遠くに行くようで悲しい、相当ショックだった。2つ目、1人ではなかった事。孤独に生きてるようでも実はそうではない。意外と見てくれてる人がいた、感動的だった。1人は耐えれず、悲しみ。3つ目に、中学の担任の意外な言葉。これは、直接聞いたのではなく、母がぽろっと漏らしたことです。内容は、私が頭がいい、というもの。担任の先生は、3年間お世話になった方で私自身好きな先生だ。私への評価はいつも否定的な評価ばかりだった。例えば、幼いだとか落ち着きがない。散々だった。しかし、母からこの件について詳しく聞いてみると、意外と肯定的評価ばかりだった。とりたてて否定的評価もなかった。別に否定意見を隠してる感じでもなかった。どうも、先生の口にしていた評価が母で止まっていたらしい。当時聞いていたらどれほど嬉しかっただろうか。今聞いても非常に嬉しかった。

以上の3点で動揺した。良くない。


過去について、だんだんと記憶が蘇ってきた。どうも無意識的に忘却されていたらしい。内容はあまり良くない。時系列順に書いていく。

まず小学校の頃はよくできたと思う。というより、自分で書くのも憚られるが、出来すぎていた。中学校の頃、両親が離婚、母の交際相手に疎んじられ、精神的に追い詰められた。同時並行的に、父の早すぎる再婚、友達作りの失敗から来る教室内での孤立(前2つの打撃が主因でおかしくなった、あとは負のスパイラルに嵌まった)もあり、半分くらい死にかけていた。結局3年春には交際相手はいなくなったが、心に傷は残った。

史上最悪の暗黒期たる中学2.3年の頃などは、思考が常に下向きで、雑音が邪魔してしまって何も手に付かなかった。希死念慮を抱くのもこの辺りである。いなくなったところで何も変わらない、と。だから、認知されたいがために選挙などにも出てみたりした、効果のほどはよくわからない。期待通りの結果ならば望ましいのだが。他にもこの頃は、部活動を途中で退部して一騒動になった。今なら考えられないことだ。途中までは最も真面目だったと思うだけに残念。一方の勉強も、しようにもやる気が皆無に等しくどうしようもなく、芳しく無かった。そして周囲の普通の人が羨ましかった。家族団欒の食事、携帯電話やテレビといった娯楽器具、そして友人。空気のように当たり前に存在するはずのものが何も無かった。自分の存在を恨んだ。救いの手はなく、世界にひとりぼっちといった感覚に襲われ、ある時に心が折れた。読書と担任の先生と話す時だけが休まる時だった。これ以上は書かない。ひとつだけ良かったことを挙げるとすれば、自転車で色々行ったことくらいだ。誇張せずに事実を淡々と羅列してみると、全ての分野において、小学校の頃と比較すると沈滞的で退嬰的になった、想像し難い。


(蛇足。

もっと読書や勉強をしておくべきだったし、まともな恋愛もしておくべきだったと思う。なかでも最大の後悔は告白を黙殺したこと、相手がいる話で、傷つけてしまったかもしれないだけに非常に申し訳ないことをしたと思っている。謝っても許されるものではない。それに私も好きだったのに、勿体無いことをした。)



思い返す過程は困難なものだった。良く生きてるなぁと、思う。

冗長になってきたので、結論を書くならば、普通と比べてあまりにも極端なのだと思う。良い時は良すぎるし、悪い時は悪すぎる。間が無い。それには良い面もあれば悪い面もある。


雑感

そして、いつからか人と違う自分を主張する場所が、人より優れてるから、ただの人とは違うに変わってしまった。主因は複雑な家庭環境にあると思う。しかし、こんな言い訳ばかりに頼って現在の正当化を図るのはあまりに惨めである。確かに、この場合での要因は虐待であるから聞き手の同情は間違いなく買う。とはいっても、その同情で現在の惨めな境遇にある自分を慰めて自分自身を納得させることなど絶対できないし、またそうなってはならない。代替不可能なのが人生だからだ。とすれば、どこかで過去の桎梏から解放されなければならない。このままいくと、人生に諦観を持つ年齢までひたすらに、「俺の人生は彼に破壊された」や「俺はこんなもんじゃない」など甘い現実逃避に走ってしまう気がする。そんなのは最低の人生だ。結局、何もなさずにただ不平ばかり叩く。批判屋に成り下がってしまうのだ。耐え難いことだ。これでは、愚かな過去に囚われて人生そのものをダメにしてしまう。だから、どこかで清算する必要がある。その清算とは、現在の正当化を厳しい過去によってなそうとする姿勢自体を取らなくていいようにすることだ。それには、現在までずっと掲げていた東大合格を独力で果たすことができたなら、過去に縛られることもなくなる。そして自分に自信も出るだろうし、夢も叶う。今までのよう原因不明の苦痛は無くなった、種明かしされたのである。今のこの時を大切に、試験にまで備えていくことが肝心だ。


話は変わって、私には別の道があったのではないか、それはどんなだろうと考えることがある。詳しくは時を見て書きたい。20歳を迎えるにあたっては、自らの20年を記録につけたい。天皇実録並はおよそ不可能でも、総括として報告書のような形でまとめておきたい。そして、現在に至る経緯の因果関係などを把握すれば、意外なことが見えると思う。いづれにせよ、客観的かつ多面的に考察を加えていきたいと考えているから、その際に詳しくわかる中身の充実したものを書く。もちろん、今の立場に立った解釈は慎み、合理的事実のみを纏めていく。それが可能になる時まで過去は封印する。